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TENSION書籍「當我們[火玄]在一起」要約:Raymondの章(2)..2004/03/17
・・想飛的心
15歳の時、やっとグリーンカードを手に入れ、アメリカで生活することが出来るようになった。
僕は勉強にはあまり興味がなかった。自分は将来アメリカに引っ越し、アメリカで勉強することになると知っていたから、台湾での授業は身が入らなかったし、成績も気にしなかった。
高校進学テストは試験料がもったいないので申し込まなかったけど、もし申し込んでいたら、成績は悲惨なものだったに違いない。

進学のプレッシャーはなかったけど、中学時代は僕にとってあまり快適な日々ではなかった。
中学校では塾に行くことが流行っていて、もちろん僕も塾に行かされた。毎日7時に学校に行き、夕方の5時ごろにはすでにくたくただけど、夕飯後に塾に行き、家に帰ってからも宿題や復習をしなければならなかった。だからいつも、友達と遊べる週末が待ちきれなかった。

アメリカの高校に入学して、最初に気づいた違いは、朝遅刻しても教務主任から怒られることもなければ、罰としてウサギ跳びをさせられる、なんてことがないことだ。2つの教育制度を経験してみて、台湾の学生はいつもテストばかりで息つくひまもなく、本当にかわいそうだと思う。

台湾とアメリカの教育制度の大きな違いに気づき、台湾の教育における体罰の意味について考えるようになった。十何歳のまだ子どもの中学生に、暴力で解決する必要がどこにあるんだ?僕は、先生が生徒を殴っているのを思い出すたび、先生は自分のストレスを解消するため、教育という名を借りて体罰をやっていたのだと思う。
舊金山大歴險・・
15歳の時、Marine Countryにある叔母の家に住み、学校に通い始めた。
2週間後に父と妹は台湾に帰ってしまったので、僕は一人で新しい生活に向き合わなければならなかった。叔母の家は白人地域にあったため、僕が通っていた学校には中国人が少なかった。
僕のクラスは僕だけが黄色人種だったから、みんなからジロジロ見られ、入学初日はとても緊張した。それに、僕の英語はいまいちなのに、アメリカ人のクラスメートと同じ普通の授業を受けなければならず、すごいストレスで毎晩悪夢にうなされた。

半月たった頃、語学コースが開設されたので、授業が面白くなってきたし、先生ともコミュニケーションがとれるようになった。
授業は面白くなってきたけど、通学途中はあまり面白いものではなかった。叔母の家は、山の上にあるのでバスを降りてからも、坂を10分歩かなければならなかった。あいにく、山の上の人は犬を飼う習慣があるらしく、僕が歩いていると悪い犬に道をふさがれることもあった。奴らは縄張りを持っていて、この辺りはその2匹が担当し、次の場所はまた違う犬の担当と、犬との競争は家まで続いた。

半年後、父が歯科医師免許の取得準備のためにサンフランシスコにやってきたので、僕らは一緒にサンフランシスコ市内に住むことになった。父は毎日、僕の食べたいものを作ってくれたけど、あのころは少し反抗期で、いつも「このスープ、まずい」「このご飯、おいしくない」と文句ばかり言っていた。今思えば、本当に申し訳ないことをしたと思う。

僕は毎週末、友達と遊びに行く約束をした。でも父は厳しかったので、父が眠るのを待って家を抜け出した。夜中に抜け出すにはちょっとしたコツが必要で、いつもトイレの水を流す音で、ドアの音を消して家を抜け出した。

僕らは毎回海へ行き、人々が鮫を釣るのを眺めた。彼らは釣り終えると、その場で鮫をさばいた。それは残忍で気持ちが悪かったけど、僕らはそれを見るのが好きだった。鮫釣りを見ていると、まるで「トムソーヤの冒険」の世界に入り込んだようだった。

半年後、父が違う州の歯科治療技術免許の専門学校に入ることになったので、また引っ越しをしなければならなかった。今度は祖母と妹と一緒に、ハワイの叔母の所へ引っ越した。
・・来去夏威夷(足堯)課
新しい環境に適応するのは難しかった。他のクラスメート達は知り合ってからすでに1年経ち、固定した友達のグループが出来ていたし、転校してきた僕は孤立していて全然面白くなかった。

当時17歳で、自分の感情をあまりコントロールできず、学校に行くことも少なかった。
だけど勉強の方は、突然本を見ただけで理解出来るようになったので、授業に出なくてもAが取れた。だから毎日、親のサインをまねてずる休みをした。

授業に出なかった日は、仮病を使って休んでいることがばれないよう海辺には行かず、いつもショッピングセンターで過ごした。半年経った頃、僕のずる休みも多少改善されて、一週間に2、3日休むだけになった。
還好有喬丹和外婆・・
ハワイは本当につまらなかった。だから、僕はマイケル・ジョーダンの存在にすごく感謝をしている。彼は僕のハワイでの生活を起伏あるものにしてくれたからだ。

1994年にジョーダンは突然NBAを引退し、メジャーリーグに行ったが、幸いなことにしばらくして彼はまたバスケットコートに戻ってきた。
その復帰した日が、退屈きわまりないハワイで僕が17歳を迎える前日の晩だった。
だから、このグッドニュースを聞いた時はとても大きなプレゼントをもらったようで、すごくうれしかった。
ハワイの生活は単調だけど、少なくともおもしろいNBAは見られる。

僕の90何歳になる祖母もジョーダンが好きで、NBAの試合を一緒に叫びながら応援した。祖母は外見は伝統的な中国女性だけど、アメリカの青少年文化にとけ込んでいて、NBAだけでなく低レベル爆笑アニメも僕と一緒に見ていた。
祖母は今も元気で、ロサンゼルスの家で母と妹と住んでいる。
デビューしてから忙しくて会う機会が少ないけど、夜寝静まった時に、いつもこの優しくてユーモアのある祖母を思い出す。
[Raymondの章(1)]..[Raymondの章(3)]へつづく

梨花:Raymond〜、転々とした生活で辛い学生時代を過ごしていたのね!友達作りが上手なJimmyとは対照的。でも、そこがなんとも守ってあげたい気持ちにさせるわ!
Translated by Ms.Yue. Thank you!
無断転載厳禁。2004/03/17

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