| ・・へその緒が巻きついた子ども | |
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僕は、ママのお腹にいた時から、驚かせてばかりだった。 生まれて来た時、ヘソの緒が首に巻き付いてたために、頚部が重いムチ打ち状態だった。 なので生まれてから3ヶ月間、僕はベッドの上に固定され、首が動かないようにしなければならなかった。未だに僕の首にはシコリが残っている。 お医者さんがパパに『この血の固まりを揉み続ければ、うっ血した血液を拡散できるでしょう』と言ったので、パパは僕が生まれてから3ヶ月間、元気に育つように毎日首を揉んでくれた。 僕は、赤ん坊の時からとっても静かだった。泣かない、騒がない、それにどんな声も発さなかった。 ママがよく言うのは、ある日彼らが食事に行った後、映画館へ入った。映画が始まって約30分後、ママは突然脳みその中が『パッ』となって、『おかしい』と思ったらしい。 その後、やっと僕を連れて外出したことを思い出した。信じられない!!僕をレストランへ忘れてきたんだ! この時やっと急いでレストランへ戻ると、それでも僕はとっても静かに行儀よく子ども用の椅子に座って、パパとママを見ていた。レストランの人が言うには、僕は泣くことも騒ぐこともないので、誰も相手をしたりしなかったらしい。 これで僕が小さい時、どれだけいい子だったか分かっただろ? でもその後、とっても喋れるようになってから、哲学的な問題を聞くようになったんだ。 4歳の頃なんて《聖書》を読んで、人間の死についての部分にかかると、とっても真剣に『人って何で死ななきゃいけないの?』ってパパに聞いたんだ。 パパはとっても驚いて僕を見て言った。『僕らはお前を生んだばっかりだよ、お前はどうして死について関心を持ち出したの?』 ママは、僕をとってもおかしなことを考える子だと思ったらしい。よく生き生きとしたアイディアを出した。 ある日ショッピングモールに買い物に行った時、僕はおもちゃが欲しかった。 当然ママは全世界の母親ご用達の言い訳、『お金がない』を使った。結果、僕はママにどうしたらお金持ちになるかを、教えてあげた。 『ママ、あの人に1枚お金をあげるだけでいいんだよ。あの人すぐにもっとたくさんくれるよ。そしたらすぐにお金持ちになるよ!!』 そうなんだ、僕はお金って1枚1枚計算して、多く持ってれば持ってる程お金持ちだと思ってた。お札に金額があるなんて知らなかった。 お店の人はただ単にお釣りをくれてただけだった。 |
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生まれてから2ヵ月後、僕と両親はハワイに引っ越した。家の中ではすべて中国語で会話してたから、僕は海外にいるのに一言も英語がわかんなかった。
こんな状況の下、ママは僕を学校へ行かせた。僕は家へ帰ってきてからママに彼女が出来たことを報告した。僕より1歳上で、僕は英語が喋れない、彼女は中国語が喋れない。 だから、僕らのコミュニケーションの方法は『うんうんうん』、『おーおーおー』それに手や足を使った。こんな感じでコミュニケーションが取れた。 彼女は色んな習い事をしてた。彼女が行く所に僕は何処へでもついて行った。彼女がテコンドーに行くなら、僕はそばで見ていた。だって彼女と話したかったから、だんだん英語を勉強していったし、友達と会話することで練習した。 でも大部分の記憶の中、この時の学校生活は一団の霧のようだ。自分がいったい何をしてたのか全くわかんない。 たぶんみんなはハワイで学校に行くって言ったら、腰巻きを着て花輪をかぶってハワイアンダンスしなきゃいけないと思ってるだろ?No!だって、ハワイアンダンスは実は観光客に見せるためだし、決してハワイに住んでる人なら皆踊れるってわけじゃないよ。 9歳になった頃、パパが社会保険計理士関係の仕事をアメリカ本土で探す為に、僕とママはパパと一緒にカリフォルニアに半年住んだ。その後、ママは妹を生むために僕を連れてハワイに戻った。妹が生まれて、パパの仕事が落ち着いた時、僕ら家族4人はカリフォルニアに落ち着き、たまに台湾に戻っては士林に住んでいた。だから士林には結構詳しい。 ハワイの高校生の服装は本当に“ハワイ”って感じだった。学校が海辺にあったし、学校の敷地もとても大きい、みんな授業に行く時、普通に準備するのは学校カバンではなく、サーフボード。学校の女の子は直接ビキニを着て、ショートパンツを合わせる。 みんな『一緒に海に行こう!』って雰囲気をかもし出してるんだ、僕の高校と大違いだよ。 |
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梨花:Andyのママ、大ボケ(笑)遺伝しましたか?(って失礼な!)しかし、Andyがもともと中国語を話せなかった、というのは意外でした。 それにしても、Andyの章は一番長いです。23ページもあります。語るのが好きなんだね〜。 |